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朝鮮半島東南部(辰韓・新羅領域)における倭人の動向(3-5)

 投稿者:hn2602  投稿日:2014年 8月28日(木)20時07分50秒
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   脱解の父母の国の名前について、正史『三国史紀』と、民間の仏教臭の強い『三国遺事』に於ける地名の音写の違いがあり、正史では「多婆那国」(丹波、但馬?いずれも一音節では「タハ/タバ」と考えられる)、野史では「カカ/カガ」と異なった国名(しかし、日本の山陰や北陸の地名に類似)を示していました。脱解の辰韓・新羅方面への漂着記事に触れる前に、先回りして『三国遺事』からの脱解の辰韓東海岸漂着後の記事を引用しましたので、時間を戻して、脱解が、箱の中に宝物などと共に詰め込まれて、海に流される時点に戻って、その「昔」姓の由来などについて、『三国史記』に従って、漂着の状況を追います。適宜『三国遺事』も引用します。
 さて『三国史記』によれば、箱に詰められて海に流された脱解は、最初に金官国(金官伽耶国)の海岸に漂着します。金官国は釜山近くの金海とされ、『魏志』韓伝の弁辰12か国の一つの「狗邪韓国」であり、六伽耶の金官伽耶国です。ここで、「六」やその倍数の「十二」が現れています。辰韓「十二」ヶ国と合わせ、辰韓や弁辰の諸国が、いかに「人為的」に編成された集団であったか?がよく窺えます。ここでも、中国史書や、或いは半島の史書が伝えるように、少なくとも辰韓・弁辰を構成する部族国家群が、あるいはその少なくとも支配者層が、馬韓の北方から馬韓の協力によって、半島南部から東南部に侵入した新来の移住者であったことが、わかります。すなわち、辰韓の有力国家である新羅の支配階級も、基本的には、半島東南部の先住民ではなく、移住・侵入してきた新来者であったことが確認できます。この点については、弁辰12か国、あるいは六伽耶中の有力国家である金官伽耶国も同じであり、更に六伽耶の初代国王が、みな天から降ってきたとしたり、あるいは兄弟であったとする伝承を持つことも、重要です。すなわち、辰韓や弁辰の支配層は、同一の氏族ないしは新来民族の出自である、という伝承です。これは馬韓諸国についても同様だとする『後漢書』の記載も参考になるでしょう。これらの記載を疑う人もありますが、私は、中朝双方の史書や伝承の一致から考えて、史実であろうと考えています。

 金官国の海岸に漂着した脱解と宝物の詰まった箱ですが、金官国の人々はこれを怪しんで、拾い上げようとせず、箱はまた海に浮かんで漂流し、辰韓の海岸に漂着した、とするのが、正史『三国史記』の記述ですが、一方、『三国遺事』では、駕洛国沖合に舟が現れ、駕洛国王の首路王が、臣民たちとともに、太鼓を打ち鳴らしつつ、船を迎えて留めようとしましたが、船は急に逃げて、新羅の東海岸にある阿珍浦に漂着した、と記述されています。要するに、『三国史記』では、脱解は金官国人に歓迎されず、再度海に流されて、新羅に漂着し、他方『三国遺事』では金官国人に歓迎されたが、自ら新羅に漂着した、という書き方の相違があります。「駕落国」とは、もちろん「から」の音写であり、「加羅」「伽羅」とも書き、「伽耶」とも通じます。上代日本語では、「から」と認識されており、「伽耶」つまり「かや」という音価では伝わってはいませんが、「ウガヤフキアエズノミコト」といった神名の「かや」の部分を、伽耶と解する説は昔からありますが、まあ、牽強付会でしょう。この「駕洛国」が、金官伽耶国であることは、首露王の名からも、判明します。
 なお、余談ですが、「首露」という王名も、実はこれまでにあらわれた「儒理」「儒禮」「孺留」あるいは「類利」「瑠璃」といった名前との類似が、窺えるようにも思われます。

 さて、『三国遺事』の巻二紀異第二の末尾に「駕洛国記」の項が立てられています。正史『三国史記』には載せられなかった伽耶諸国中の有力国家金官伽耶国の歴史ということになりますが、建国神話とでもいうべき神話・伝承が記載されています。首露王の時代に、「〈王完〉夏」国の含達王(含達婆王とは書かれていない。婆の脱落か?異伝か?)の夫人がにわかに妊娠し、月満ちて、卵を産み、卵が化して人になったが名を脱解と言い、海から駕洛国にやってきたときには、背丈が三尺ほど、頭の回りが一尺ほどになっていたとされます。脱解は、宮殿に乗り込み、王位を奪いに来たと言い、天命により即位したという首露王と、対決します。脱解がまず「鷹」に化けると、首露王は鷲に化け、次いで脱解が雀に化けると、首露王はハヤブサに化けます。やがて本身に戻った脱解は、負けを認めて去ります。脱解が中国船の通う水路に向かって去ったのを見て、首露王は脱解が留まって乱を起こすのではないかと恐れ、急ぎ舟師(水軍)600隻を出して彼を追わせると、脱解は鶏林(新羅)の国境地帯へ向かったので、舟師は撤収します。
、 同じ『三国遺事』でも、巻第一「紀異第一」の「新羅第四 脱解王」の項の記事と、巻第二「紀異第二」の「駕洛国記」の項では、脱解の扱いや印象が相当異なります。金官国の王家だった金氏(新羅王家の金氏と区別して、金海金氏と言い、新羅王家は慶州金氏と言う)は、勿論首露王の子孫と称しており、新羅に降伏した後も新羅王家金氏と婚姻関係を結び、その有力な外戚となりました。新羅三王姓の最後に登場する、且つまた末期の後期朴氏(新羅王位の簒奪者)とは異なって、中国史書で唯一確認できる新羅の実在の王家だった慶州金氏は、前にも述べましたが、実際には「慕(募)氏」(馬韓=慕韓の「慕」)であった可能性が高く、その金氏への改姓は、金官国併合後であり、金海金氏の姓を借りたとでもいうべきであろうと思われます。いずれにしろ、金海金氏には、慶州金氏以前の倭人系の王家昔氏に対する優越感のようなものが、存在したのかもしれません。
 更にもう一点注目すべき「駕洛国記」の記事は、脱解が呪術合戦で最初に変身したのが「鷹」である事です。上代日本語で「鷹」は「たか」と発音します。私が「脱解」は、上代日本語「たか」(高、鷹)の「音写」だと考えた理由の一つはもちろん倭人である以上、彼の名を倭人の言語、すなわち時代の近い上代日本語かその極めて近い方言なり、先行言語であると考えるべきだからですが、この呪術合戦で、まず「鷹」に変身したからでもあります。天空を飛翔し、卵生である、と言う特徴を持つ動物と言えば、鳥類であり、卵の形状をとって天から降臨する王者が、本来鳥類と見なされていたらしいことも推察できます。鷹や鷲、或いはハヤブサ(『三国遺事』の該当箇所では「隼」シュンではなく、「鸇」センと言う漢字を使用しています)と言ったいわば狩りをする猛禽類のみならず、「雀」が脱解の第二の変身として現れるのは、少し意外の感もありますが、此処で、日本の仁徳天皇の諱「オホササキ」(みそさざいの類)が「大雀」と漢字表記されている事、また第2代新羅君主「南解(これを上代日本語の「なか」=中の音写と解釈しました)次々雄(あるいは慈充)」の「次々雄」がこの「さざき」と同源で、呪力のある人、すなわち「巫覡」の意味だとする説がある事を紹介した事を、想起してください。呪術の技を競った脱解と首露王は、将に鬼神に仕える巫者だったのです。上代日本語で、ミソサザイの類に霊力が認められて、それに「雀」の漢字が宛てられていると考えれば、将に半島南部の駕洛国地域も含めて、倭人世界での伝承と考えられます。であれば、この説話の「雀」も実は、「ミソサザイ」の類だったかもしれません。
 この『三国遺事』に引用されている「駕洛国記」の記載内容を見て、金官伽耶国が独自に史書を編纂していた可能性を想定する向きもありますが、実際には新羅に併呑され、その姻戚ともなった金海金氏一族の伝承が、新羅の国史編纂過程でまとめられた、いわば、金海金氏の家伝のようなものだった、と考えたほうがよいのではないか・と私は考えています。
 
 
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