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朝鮮半島東南部(辰韓・新羅領域)に於ける和人の動向(3-3)

 投稿者:hn2602  投稿日:2014年 8月23日(土)22時20分30秒
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   『三国史記』新羅本紀巻一第4代脱解尼師今の記載を続けます。
 脱解の姓と王妃の名を記載した後は、、その出生と新羅の君主になるまでの記事、いわば「即位前紀」に相当する記事が続きます。この部分が、脱解の素性など、倭人としての脱解についての記事であり、しかも『三国遺事』との異同もあり、興味の惹かれる部分です。
 まず、脱解は昔「多婆那」国で生まれたが、その多婆那国は、「倭国の東北一千里」のところにある、と記載されています。この「倭国」は、日本列島全体というよりは、「倭王」の国を意味しており、したがって、脱解の時代(在位AD57~80とされています)で言えば、「倭奴国」や「倭国王帥升等」の時代ですが、もちろん新羅の古年代も日本の史書同様、古く記載されていますから、この倭国は、中国史書の「邪馬台国」や「倭の五王」の時代の「倭国」の中心部分を指すと考えられます。
「多婆那」国の「那」は、満州・ツングース語などの「na.naa」で土地を意味する語彙ですが、上代日本語でも「地震(なゐ)」の「な(地)」であり上代日本語「の(野)」はその母音交代形だと考えられていますから「多婆那」は「たば(多婆)国」を意味する語彙です。邪馬台国九州説に立って、この倭国を北部九州とすれば、その東北一千里は、山陰地方、出雲から音が類似する「但馬」「丹波」方面になります。邪馬台国畿内説で、倭国を大和とすれば、北陸の越前・加賀・能登・越中方面になるでしょう。「多婆那」を「玉名」市に比定する説もありますが、その場合「倭国」を北九州ではなく、南九州あたりにするか、「東北」の方角を誤記とせざるを得ませんから、無理だと思われます。
 一方、著しく仏教の影響の強い『三国遺事』では、、「多婆那」国の代わりに、「龍城国」「正明国」「(王完)夏国」(「王完」で一字)「花厦国」の4つの国名が伝えられています。このうち、最初の「龍城国」と「正明国」は仏説に基づく抽象的な国名であり、後の2つが、脱解が出自したとされる国名を写した地名であると考えられます。「(王完)夏」も「花廈」も倭人語の「かか」あるいは「かが」の音写であり、日本語としては「加賀」の字があてられます。すなわち、脱解の母国とされるのは、邪馬台国九州説を採れば、「出雲国加賀郷」あたり、邪馬台国畿内説を採れば、ズバリ北陸の加賀国あたり、と言う事になります。
これほど具体的な地名が出てくる、と言うのは新羅を始めとする朝鮮半島東南部の辰韓領域の諸国が、山陰から北陸の倭人集団と強い交流を持っていたことを示唆しています。その日本側の神話的伝承が、スサノヲやアメノヒホコであり、出雲や但馬方面でその活躍が伝えられています。
 尚、『三国遺事』には、「王暦」と言う表があり、その脱解のt項には、次のように記してあります。
 第四脱解(一作吐解)尼師今 昔氏。父[王完]夏国含達婆王。一作花夏国王。妃南解王之女阿老婦人。(以下略)
 すなわち、王名こそ仏教臭の強い含達婆王となっていますが、国名は、完全に「かか/かが」の音写である「[王完]夏国」「花夏国」となっています。又、妃の名が「阿老」夫人となっていますが、これは「阿孝」の誤記(原本か、訳本かは不明です)でしょう。
 
 
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