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朝鮮半島東南部(辰韓・新羅領域)に於ける倭人の動向(3-2)

 投稿者:hn2602  投稿日:2014年 8月15日(金)20時19分22秒
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   『三国史記』新羅本紀巻一の脱解についての記載を続けます。
 脱解の姓は、昔氏で、王妃は阿孝夫人であると次に記してあります。王妃の阿孝夫人は、第2代南解次々雄の娘であり、当然朴氏です。脱解の出自は、この後の記事に記述されていますが、以前に、始祖王赫居世居西干の時にも触れましたが、その「朴」姓の由来が、卵生である赫居世の「大卵」の形状が、「瓢箪」に似ていることから、当時瓢箪のことを「朴」といったので、姓を「朴」氏とした、というのが、いわば『三国史記』や『三国遺事』を含めた半島の史書の「公式見解」です。しかし私は、『三国遺事』の記事から、実は赫居世(の卵)が発見された場所(山)の地名に「瓢岩峯」があることから、朴氏はその地名もしくは山の峰の名に因んで、命名された可能性が強いと論じました。
 さて、後述しますが、脱解も「大卵」で発見されており、赫居世同様、卵生です。であれば、彼も「朴氏」であってもよいはずですし、もし既に他人により「朴」姓が使用済みであるから不可ならば、「大卵」に因んだ「卵」氏なり、それを佳字(好字)に置き換えたり、辰韓の古語での同義語を採るとか、いろいろありえたでしょう。しかし、卵の在り処を鳴き声で知らせたという「カササギ」(鵲)の漢字の偏をとって「昔」としたとされます。しかも、統一新羅時代に、「昔」氏あるいは「積」氏なる有力貴族は、存在しません。これは、昔氏がいわば、朴氏(初期朴氏)と新羅の歴史時代の王家金氏の間に、挿入された架空の氏族だった可能性を示しています。
 では、なぜ、そのような架空の氏族の挿入が必要だったのか?それは、初期朴氏の後裔を称する新羅王室の外戚後期朴氏が、金氏から王位を簒奪したことを正当化する意図で、新羅王位が異姓の二氏~三氏の年長者間で、継承された歴史なり習慣があったとした事がまず考えられます。しかし、問題は新羅本来の王家金氏や朴氏以外の有力貴族が、そのような簒奪を正当化するような歴史を認める必要があったのか?という問題が残ります。『三国史記』は、金氏の子孫の金富軾が編纂し、かつ、高麗王室王氏は、金氏と姻戚関係を結びました。朴氏を簒奪者として、王莽のように貶めることも可能だったはずです。しかし、そうなりませんでした。
 何故か?その結論は、金氏以前に、辰韓人到来以前の先住者倭人の王家を推戴していた時期があり、その後を受けて、金氏が王位を継承したという、新羅国民や支配層が周知していた事実が存在した、と想定するしかありません。韓族化した新羅一般の民衆にも、自分たちが本来は倭人の血を引いており、その本来の王家(太陽神の子孫でその化身とみなされた?)が、日本列島に去ったのだ、という根強い伝承があり、それが無視できなかったから、新羅王位の三氏族間での持ち回りという「歴史」を受容したのでしょう。

 次回は、脱解の出自記事を、『三国史記』『三国遺事』両書から、検討します。
 
 
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