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朝鮮半島東南部(辰韓・新羅領域)における倭人の動向(3-0)

 投稿者:hn2602  投稿日:2014年 8月 5日(火)21時45分52秒
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   今回から、新羅第4代君主脱解の出自や事績を扱うことになりますが、基本的に神話であると断じてもよいような事績に満ちています。更に、正史『三国史記』とそれを補う『三国遺事』の内容の相違にも、興味がそそられます。又、新羅三王姓の内、末期に新羅王位を簒奪した後期朴氏を除けば、歴代の実在の新羅王家である「金氏」の始祖、閼智も脱解の時代に登場します。新羅三王姓の始祖の内、唯一君主にならなかった閼智は、当然その紀も立てられてはおらず、また列伝も立てられてはいません。実在の新羅王家の始祖とされる閼智のこのような扱いは意外ですが、扶余系の辰王(『三国史記』新羅本紀での馬韓王と同じ存在だと考えられます)やその系統を引くとされる百済などから、新羅が自立できたのは、先住の倭人の力を借りて、漸く辰韓六部あるいは新羅六村が、馬韓勢力あるいは辰王勢力を拒絶できたことによる、との歴史意識が、強かったのでしょう。本来は、馬韓出自(韓族であったか、扶余族であったかは不明)の「慕(募)」氏=馬氏が、新羅王位にありながら、金官国を征服して、その王家の「金」氏と通婚するや、その姓に改めて、金氏になったことは、新羅においては、扶余系や馬韓系の王家が歓迎されない、と言う現象があったのでしょう。
 次回以降、脱解の時代について、論じますが、『三国史記』と『三国遺事』が、これまで以上に混用されることになります。
 
 
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