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ロトさん

 投稿者:hn2602  投稿日:2006年 3月 8日(水)18時04分3秒
返信・引用
  「ツリー式」の古代史掲示板で、菊池さんとのやりとりが、最近のものでもないのに、いきなりトップになっていましたが、これは、ひょっとして、「Y染色体DNAハプロタイプ」や「mtDNA」について議論せよ!ということですか?  

小頭症遺伝子のハプログループ

 投稿者:hn2602  投稿日:2006年 2月26日(日)16時37分42秒
返信・引用 編集済
  2種の小頭症遺伝子microcephainとASPMの研究が行われ、それぞれの高頻度ハプログループを「ハプログループD」とし、統計学的に前者のハプログループの起源は、約3万7千年前と、後者の起源は5,800年前とされ、文化の起源の時期との関連がありそうです。

もう少し、研究が進展すると面白いデータが出てきそうで楽しみです。
 

奈良時代の神崎郡

 投稿者:勇者ロト  投稿日:2006年 2月22日(水)19時34分52秒
返信・引用
  まず根本的史料になるのが、「播磨国風土記」だと思いますので、こちらを読まれると良いと思います。

神社の縁起については、いろんなものがありますので地元の歴史がわかるような本を探して辿られると良いと思います。

しかし、面白いというか興味深い伝承ですね。

播磨国には後に天皇となる二人の兄弟皇子が隠れたという場所もありますから、奈良時代の大和地方の貴族たちにとっては、船や駅などの目立つ交通機関を使わないで自力のみで行けるという意味での「最果て」だったのかもしれません。

ちなみに播磨風土記に大河内町あたりの事として「杉や檜が生えている」という内容が書かれています。当時こういった大木から切り出される木材はかなりの価値を持っていたと考えられますので、大河内あたりは決して単なる田舎ではなかったと思います。

後の銀山や金山じゃないけれど、それなりに大きな経済力を持った地域ではあったのでしょう。

http://purple.ap.teacup.com/azisuki/

 

情報求む!

 投稿者:HIRO  投稿日:2006年 2月22日(水)13時51分53秒
返信・引用
  神崎郡大河内町の市原神社の縁起に長屋王の子息の山背王が都が乱れた折に落ちのび、当地で亡くなり、寺前に葬られたと書いてあるそうです。山背王は確かに存在しますが、本当にこんな田舎に来たのだろうかというのが私たちの疑問です。もしきたとしてなぜ大河内なのか。山背王について、奈良時代の神崎郡の様子について知っている方情報を教えてください。  

はいはい!

 投稿者:kituno  投稿日:2006年 2月16日(木)21時59分50秒
返信・引用
  「用明天皇の謎」プリントアウトしました。(^^)  

Re: ブログって

 投稿者:勇者ロト  投稿日:2006年 2月 6日(月)19時07分26秒
返信・引用 編集済
  > 面白そうだな〜、作ってみようかな〜と思いつつも、kitunoには時間がないから無理無理っていつもあきらめる・・・。

ブログは作ること自体は簡単で更新も楽なのですが、掲示板とは両立しにくいかもしれません。

> ・・・でロトさんの男系・女系のブログを読みました。
> どの項目に書き込みをして良いやらわからないので、こちらに書き込みます。
> 恥ずかしながら「万世一系」の言葉そのものに「男系に限る」という意味があるなんて、知らなかった。「辞書」には書いてないもの。

kitunoさんちの掲示板にも書きましたが、「万世一系」という言葉が使われ出したのは、江戸時代です。江戸時代において辿るべき系統は男系のみですから、天皇家の万世一系とは現在の言葉でいえば、「男系」となる。ということです。

単体の言葉の意味として「一つの系統がずーっと続くこと。」でしかないでしょうが、歴史的背景から考えるとこの言葉示す系統の意味としては「男系」と認識しなくてはいけないということです。

> きっと『皇室典範』には「男系」という断りがあるのでしょう。それとも「系統」という言葉自体に「男系に限る」という意味が含まれているのかな〜。同じ遺伝子が受け継がれていくということは男性の遺伝子ということで、途中から女性の遺伝子だけになると「万世一系」ではなくなるということ?

「男系の男子」とあるようです。下記参照。


http://ja.wikisource.org/wiki/%E7%9A%87%E5%AE%A4%E5%85%B8%E7%AF%84


系統という言葉自体に男系に限るとかいう意味はないです。

「万世一系」という意識が発生した当時に、意識すべき系統は「男系」しかなかったということです。

遺伝子レベルでどうこういう話ではないと思っています。
血がつながってるから、だけでもない。王位というか皇位につく人間の「資格」として「父を辿れば神武に行き着く」という意味での「万世一系」は終わってしまうわけです。

「万世一系」の解釈を変えればすんでしまう話なのかもしれませんが、。。。。

いずれにしても、「祖先の系統」なんてものは、ある時代から遡って考えて初めて意味を成すものですから、今のこの問題の「歴史的当否」については、はるか未来の人間が決めることになるのでしょうね。

> この話題をきっかけに、天皇の歴史そのものにまで興味を持つ人が増えてきて、いろんな意味で良いことだと思います。

そうですね。いい意味でなら。
「政局」にするだけになってしまっているのかもしれませんが(^^ゞ

http://purple.ap.teacup.com/azisuki/

 

ブログって

 投稿者:kituno  投稿日:2006年 2月 6日(月)10時50分31秒
返信・引用
  面白そうだな〜、作ってみようかな〜と思いつつも、kitunoには時間がないから無理無理っていつもあきらめる・・・。

・・・でロトさんの男系・女系のブログを読みました。
どの項目に書き込みをして良いやらわからないので、こちらに書き込みます。
恥ずかしながら「万世一系」の言葉そのものに「男系に限る」という意味があるなんて、知らなかった。「辞書」には書いてないもの。
きっと『皇室典範』には「男系」という断りがあるのでしょう。それとも「系統」という言葉自体に「男系に限る」という意味が含まれているのかな〜。同じ遺伝子が受け継がれていくということは男性の遺伝子ということで、途中から女性の遺伝子だけになると「万世一系」ではなくなるということ?
きっと、私みたいに低レベルな庶民の数の方が圧倒的に多いような気がするな〜。
でも、最近は、ワイドショーレベルの番組でも頻繁にこの問題は取り上げられるようになって、やっと『皇室典範』改正の持つ大きな問題が多くの人々が理解できるようになったというのが現状ですね。

この話題をきっかけに、天皇の歴史そのものにまで興味を持つ人が増えてきて、いろんな意味で良いことだと思います。

http://www.geocities.jp/kituno_i/

 

こちらで、雑談してもよろしいのでしょうか?^^;

 投稿者:kituno  投稿日:2006年 2月 5日(日)16時28分32秒
返信・引用
  ロトさん、お久しぶりです。
いろいろご心配をおかけして申しわけありませんでした。
だいぶ回復してきました。
入院中、お世話になった方たちに、ロトさんのお菓子を送ろうかと、久しぶりにお店のページを覗いたら、随分進歩されていて驚きました。いろいろなお菓子がよくわかって、ネット客第一号(でしたよね?^^;)のkitunoとしては、とても嬉しく思いました。

こちらの掲示板でのhn2602さんの意欲的な書き込みを、懐かしいような気持ちで読ませていただきました。不勉強でなかなか理解ができないのですが、日ユ同祖論を唱える人たちがいる中、あちらとこちらのミトコンドリアDNAなどの調査はされたことはあるのでしょうか。^^;;

民族の起源を男系で見た方がよい、ということは、女性は政治の道具として使われることもあったからでしょうか・・・。

それから、最近、私は人間の進化はもう限界に来ていて、もしかしたら、急激なスピードで原種に戻りつつあるのではないかと思うことがあります。人間らしい感情を司る大脳皮質の部分と本能からなる古い脳との繋がりがバランスを失ってきているような気がしています。

久しぶりに遊びに来て、的はずれな書き込みばかりしてしまいました。^^;;

http://www.geocities.jp/kituno_i/

 

私はホモ・サピエンスも

 投稿者:hn2602  投稿日:2006年 2月 5日(日)15時05分25秒
返信・引用
  一般に父系制氏族社会を原則にしていたと考えています。
ただし、人間に限らず、霊長目真猿亜目に属する種は、かなり社会制度は融通が利いたのではないかという気がします。
オランウータンは母系ですが、「家族」を形成するとは言いがたく(「オス」が不在で母と子の関係は濃厚)、ゴリラは、家族を形成するものの、「単雄複雌」群ですが、チンプのような「氏族(クラン)」を形成してはいません。チンプは「父系制氏族社会」を形成し、同じ群れのオス同士の結束は固く、他の群れ(クラン)との抗争も行いますし、分派した時、その分派集団を殲滅した事例も観察されています。
このチンプの群れに「メス」が参加して子を作りまた自由に離脱し、他の群れに雌は移動します。その群れで成長したオスはその群れに参加して「クラン」の一員となりますが、しかし「子連れ」で群れに参加したメスの男児は排撃され易く、時に「カンニバリズム」の対象とされ、排除されることもあります。(ただ、ある程度以上の大きさに育てばおそらく物理的に排除の対象に成りえないのか、カニバリズムの対象には成らないようですが、このあたりの話は昔読んだだけですので最近は異なった観察例が報告されているかも知れませんし、またボノボとチンプでどのような相違があるかもよく知りません。)

現生のヒトに最も近いチンプが父系制氏族社会(家族は形成されていない)であるならば、ホモ属も基本的には「父系制氏族(クラン)」社会を形成し、これにヒト特有の出産の困難さを克服するための「他人の介助」と育児の扶助(エサを与える)の観点から、家族形成をその氏族(群れ)内で行ったのではないかと推測しています。「原始女性は太陽であった」という母系説論者の話はまあ、ヨタでしょう。勿論可塑性に富むホモ・サピエンスの社会では、一部に母系社会を作ったことは確かですが、父系制社会の前に母系制社会の時代があったというのは考え難い事です。

もう一つ、Y染色体ハプロタイプが、ミトコンドリアDNAのハプロタイプよりも絶滅する頻度が少し高いのではないかとも考えています。これもY染色体の分布圏がミトコンドリアDNAハプロタイプよりも狭くなる大きな原因になっているのではないかと考えています。
Y染色体ハプロタイプの研究がmtDNAのそれよりも遅れた(mtDNAハプロタイプはたいしてY染色体ハプロタイプより先行して研究されたという感じではありませんが、mtDNAはハプロタイプではなく、Dループのような蛋白質をコードしない部分の変異がかなり早くから研究された)事情もあり、まだデータの集積が少なすぎますが、一応、日本人では、弥生系と考えられるO2b*、O2b1は朝鮮半島と共通で、O3は中国大陸、そして縄文系と考えられるDグループ(YAP+)は、チベット人以外ではほとんど日本にしかないとされています。Y染色体の別なハプログループ「C」も日本人では結構多いのですが、これを一般に縄文系とする人が多いのですが、私はその点については疑問を持っています(一部は弥生系ではないかと考えています)。
 

そうして

 投稿者:巫俊(ふしゅん)  投稿日:2006年 2月 2日(木)12時11分50秒
返信・引用
  中国では、五胡十六国の匈奴劉氏のように、母方の一族(漢の王家)の系統を強く意識することはあるのですが、
「母方の一族」であって女系だけを辿った女系の始祖というものは、歴史時代には確認することができないです。

女系社会はアフリカ等、世界的に存在が知られていますが、女系の社会(「お母さんの家」に生まれ育ち、女系の系統を覚える社会)だからといって、アマゾネスのように女性優位社会とは限らないようです。
そうすると、男女の役割が反転した女系社会というのは、かつてあったかもしれないけど実態として理解しにくいものになってるような気がします。

mtDNAの「移動距離」が大きいとすると、mtDNAによって探れる年代には、男系の社会の存在が浮かび上がってきそうですね。
 

女系

 投稿者:巫俊(ふしゅん)  投稿日:2006年 2月 2日(木)12時01分10秒
返信・引用
  日本の創世からの神話にも、女系の社会の残滓のようなものってあるんでしょ〜か?
甲骨文字による、殷の文化には、男系の祖先を何代も前まで辿っていく「系統の伝承」がありますが、
(殷系の貴族は数代前までの祖先の名前と、神話的始祖(「上甲」)の名前を暗誦していたようですし、殷王系は「上甲」から更に以前の神話的祖先を設定していたようです。究極的な祖先とは「帝」(上帝)と山川の神のことで、自然環境が高祖だったそうですね。)

殷の女系の「系統」というものは依然として聞かないですね。
殷の王妃は、王妃の出身地の諸侯の族名をとって、「婦{女井}」(ふけい)「婦好」(ふこう)といったように呼ばれていますが、それ以前の「女系の系統」というものは甲骨に書かれなかったようです。
 

巫俊さん、Y染色体ハプロタイプは

 投稿者:hn2602  投稿日:2006年 1月29日(日)14時35分18秒
返信・引用
  一系的に(単系で)父から息子へと、伝えられるため、丁度女系(母系)を単系的に追えるミトコンドリアDNAの男性版といった感じです。
ただ、どうもこれまでのいろいろなデータからすると、古代からmtDNAの方が、Y染色体の方よりも「移動距離」が大きいように思われます。これはどうも古代から父系制氏族社会が主流で、それに女性が嫁するのが一般的だったことを表わすのではないかという解釈が為されているようです。
つまり、「民族の起源」を考える時は、女系よりも男系で見たほうが良さそうだと考えられるのです。

徳島大学の中堀豊教授の『Y染色体からみた日本人』(岩波ライブラリー)が面白そうです。
 

それでは

 投稿者:巫俊(ふしゅん)  投稿日:2006年 1月24日(火)19時39分33秒
返信・引用
  >広義のチベットの歴史

そのY染色体ハプロタイプの系統というのは、「早期から移動が激しすぎる印象」ということから、
HLAよりも太古の姿。。。といったら何やらおかしいですが、
痕跡としては系統図の根元部分からの変化が激しい。。ということですか?

それにチベット人の骨髄検査。。でしたっけ?
そのチベット人というのは、チベット自治区(西チベット)で実施されたものではないのですか?
○○人という定義より、「○○地域で採取」といった資料の採取先を特定しないと、何しろチベット人(蔵族)といっても、仏教を基本に周辺の民族が離散集合して形成された経緯がありますし。

チベットも広義の中国史ですから、探しにくいことがあったら、何でも聞いてください♪
 

原作者のロトさんに連絡

 投稿者:安部奈亮  投稿日:2006年 1月22日(日)22時56分26秒
返信・引用
  マンガの第一話が完成しました。
メールで送りましたのでご覧ください。
 

アムド地方を含めた

 投稿者:hn2602  投稿日:2006年 1月22日(日)13時51分2秒
返信・引用
  広義のチベットの歴史を知りたいのですが・・・。
どうも、羌も氐も、東チベットの民族と考えた方が良く、西チベットの民族との相関関係が理解できないのです。
日本人の起源論では、YAPの問題は、無視できないものです。HLAハプロタイプよりも有益なもののように思えるのですが、まあ、はじめの頃はYAPなどの「Y染色体ハプロタイプ」のデータがほとんどなかったので、HLAハプロタイプで代用したのですが。ミトコンドリアDNAもDループ上の変異から、最近はハプロタイプのデータが集積されていますので、面白いですが、HLAやY染色体に比し、度も早期から移動が激しすぎる印象があり、Y染色体ハプロタイプの系統を追うほうが、わかりやすいようです。
 

あっ、それと

 投稿者:巫俊(ふしゅん)  投稿日:2006年 1月17日(火)00時57分24秒
返信・引用
  西北系の羌ですが、チベットに入ったことは追跡してないので、ただ殷〜周代には、北中国に広く拡散したようです。  

チベット

 投稿者:巫俊(ふしゅん)  投稿日:2006年 1月17日(火)00時53分6秒
返信・引用
  チベットの歴史は、本年か昨年かに新冊のハードカバー本が発売されたばかりだったと思いますよ。
書店で見かけて、中は確認しませんでしたが。
普通にチベットの歴史でよかったら、チベットにしては、、、というと失礼な話ですが、意外に出版されてます。
ひとつ気になるのは、普通はチベットというとトプゥト(吐藩)以降の歴史を指したりして、実際「チベットの歴史」と銘のあるものは、後半のこの時期を中心にしてる傾向があると思います。
というか、トプゥト以前は、羌がチベット系ということになってますが、ずっと後の世になってからチベットに移動した羌をチベット系と呼ぶことは戸惑ってます。

とはいえ、チベット(蔵)族も文化的に混雑して成立した民族ですから、漢代に西方で猛威を振るった羌族と関係は深いようですね。
とりあえず、チベットという言葉が生まれるのは後代ということと、あのかつてインドとチベットの大地が闘争して隆起したヒマラヤの高地のことですから、
インドや中国・遊牧圏と結ばれている割には、縄文的な○○○が断絶せずに残ってるとか、よく分かるような気がします。
その場合の移動ルートは?
周辺の民族はどうだったかな。
少なくとも新石器時代には、すでに人が住んでいたでしょうし、入ってくる人というと、広義の中国系住民(四川に雲南に甘粛とか)と、西北系の羌(新石器時代のこと、少し分かってきました)。
そして、少し時代が降って、騎馬の遊牧民がチベットにも進出してくると。
それとチベットというと、今は西チベット(チベット自治区)を指しますが、東チベット(青海省)も広い意味のチベットに入ります。
更にいえば、元代以降のモンゴル人はチベットの宗教を信奉してましたし。

>平勢氏

吉本氏は先秦時代の研究者で、中原の歴史のほか、辺境の王権についても、楚と呉を中心に王の系譜を研究しています。
中原からすると、辺境の楚や呉は蛮夷ですが、楚と呉では独自の王権が形成されたということは有名だと思います。
楚の王統は、「楚公逆」という人の西周期の青銅器が発掘されたことで、西周期には実在していたことがはっきりしてきました。
また、呉の王統はというと、最初の呉は楚の貴人として呉に君臨していたということ、中原の晋の使節(使者は「夏姫春秋」の巫臣)と接触したことで、中原の姫姓の虞の系統だったということに王の系譜をすりかえたことが研究されてます。

平勢氏は、吉本氏(ほかに入門書とか書いてます)の台頭で、異色の研究者という印象が強くなってきましたね。
平勢氏の発想は一流ですが、暦の年代計算という、一般の人(私もふくめて)には反証のできない分野で、新説を出されてますが、それが後発の研究者によって疑われると、反証できないせいで、ふたつの歴史観が並立したまま、平行線を辿るという、とても困った状況です。

平勢氏は、『中国の歴史02』という概説書で、一般向けしない年代論をクドクドと書いちゃったんで、反響(悪い意味で)が大きくなってるようですね。
平勢氏がより有名になると、平勢説を受容するか抵抗するか、誰でも一度は感染する風邪のようなものですね。
平勢菌に感染しつつあるんでしょう、それだけ。
漢字については牧野の戦いに出てくる、「兵」という漢字を、従来は「武器」という意味で取るのに、「兵士」という意味で解釈しようとしたんで、それはおかしい、と批判が吹き出てるんです。

それから卒論は無事提出できました。
hn2602さんと話したことで、狄のことも記述内容が広がりました。
新年もよろしくお願いしますね。
 

チベットですか。

 投稿者:勇者ロト  投稿日:2006年 1月15日(日)17時21分36秒
返信・引用
  ちなみに私はしりません(^^ゞ

>チベット人の「YAP+」の頻度

アイヌの子孫にも多いという古モンゴロイドの指標になるとかいうやつでしたっけ?

検索すると2チャンネルの掲示板しか引っかかってこない(^^ゞ

コピーとペーストは目の前でやってもらうとすごく簡単なのですが(^^ゞ

http://purple.ap.teacup.com/azisuki/

 

ロトさん

 投稿者:hn2602  投稿日:2006年 1月15日(日)15時48分14秒
返信・引用
  コピー&ペーストは相変わらず覚えていません(というか、覚えられない)。
立派な認知症患者かも?
 

巫俊さん

 投稿者:hn2602  投稿日:2006年 1月15日(日)15時45分29秒
返信・引用
  チベットの歴史について、なにか良い本がありませんか?

7世紀以前のチベット民族の歴史がもう一つ、良くわかりません。
チベット人の「YAP+」の頻度は、日本人並みであり、おそらく縄文系日本人の指標と考えられるYAP+の来源を考えることは、日本人/日本語の起源論に直結する可能性のある問題なのですが・・・。
 

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